水原神社を探して

富国園を見学したとき、日帝時代の古い写真画像を展示してました。
その時に見つけた「水原神社」。日本人が作ったそうです。

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日本人が作った水原神社

今でも残ってるのかな?どこなのかな?と思い、探しに行ってみました。

 

수원신사 터/スウォンシンサ(水原神社跡)
所在地 : 京畿道 水原市 八達区 梅山路3街 山3
      경기도 수원시 팔달구 매산로3가 산 3
      キョンギ道 スウォン市 パルタル区 メサンロ3ガ
アクセス : 水原駅(수원역)からタクシー
周辺観光施設 : 旧富國園・旧水原市庁・南門ロデオ通り・
         京畿道庁舎旧館グッドモーニングハウス
オフィシャルHP : ?
富国園にあった地図はこんな感じ。↓

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水原神社の真下にあるオレンジの広い施設は、場所的に「수원향교(水原郷校)」にしか考えられません。ということは、地図八達山エリアにある「수원시민회관(水原市民会館)」か「중앙도서관(中央図書館)」のあたり。

このきつい坂を登って写真

到着すると、↓これは一応神社跡の印?

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ただ、市民会館に行っても、写真

中央図書館に行っても、写真

神社跡らしきものは全くありませんでした。
韓国人にとっては、もう消し去りたい過去みたい。

家に帰って、水原市のHPを見ると

現在、水原市民会館が建つ場所に日帝時代の水原神社があった。
この水原神社は、1917年(大正6年) 10月 29日に建てられ、水原の学生たちは毎週月曜日神社の参拝を強要させられた。当時神社に集まった学生は数百人に達し、 特に小学生は神社参拝をより積極的に行わされた。   by 水原市

水原神社は市民会館のところなんですね。
小学校・・・そういえばすぐ近くに매산초등학교(梅山小学校)がある。
梅山小学校は、

日帝時代の名は水原公立尋常小学校。水原に日本人移住者たちが急増し、日本人の子供の教育のために1910年設立された小学校。 当初1906年 9月 28日華城学校内で 7人の日本人学生を対象に水原居留民小学校として開校。翌日には学生数が 20人となり、1908年学生数の増加に伴い、日本人居留民たちの奇金と統監府の支援金で水原郷校そばの現在の位置に規模を大きくして移転した。この小学校は、日本人及び韓国富裕層の子供が教育を受けた。      by 水原市など写真

神社に参拝したのが、ほぼ日本人や親日の韓国人さんなら、強制でも問題ない気が・・・。
月曜日なら学校の時間だし。反対に外に出れて嬉しかった小学生もいるかも。
だって、水原神社からの眺望が何気に良いんですよ。

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ほらほら、景色を見渡す感じの解放感。
日本統治の終了が1945年なので、ここに通った日本人がまだ生きてる可能性もあるんですね。

 

今回は残念ながら水原神社跡の痕跡を見つけられなかったのですが、水原移住をした先輩たちの息遣いが聞こえてきそうな散歩でした。