90年前の水原を感じる旧富國園

お正月明けに釜山で築90年の赤レンガビルを見てきましたが、水原市でも同年代のレンガ建物が先々月開放してました。
日本が大きく関わったこの施設は、その後「水原裁判所」となり、取り壊しの危機を切り抜け、90年の時を経て「近代文化空間」として生まれ変わってたので見てきました。

구 부국원/ク ブググォン(旧 富國園)
所在地 : 京畿道 水原市 八達区 交洞 93-7
      경기도 수원시 팔달구 교동 93-7
      キョンギ道 スウォン市 パルタル区 キョドン
アクセス : 水原駅(수원역)からタクシーor徒歩
       八達門から徒歩
周辺観光施設 : 南門ロデオ通り・華城行宮・華城博物館・工房通り
         八達区庁・八達門チキン通り八達寺
オフィシャルHP : blog.naver.com/bugukwon
           www.instagram.com/bugukwon
           www.facebook.com/bugukwon
営業時間  : 10:00~19:00(入場終了18:30)
定休日   : 月曜日
TEL    : 031-228-2478
入場料   : 無料
駐車場   : 無し

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水原駅と華城行宮の中間に位置する赤レンガ3階建ての「富國園」。
私が移住した2014年には既に門が閉まって、廃墟感満載だったんです。
硬いドアに閉ざされててちょっと気になっていたのですが、90年も歴史がある建物だなんて思いませんでした。

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日本植民地時代の農業に関連する種子・種苗・肥料などを販売していた富國園。
1923年からこの地で日本の農業侵略(え~、侵略って)の為、本社ビルとして活用された。
解放後は、官公庁、病院、印刷所など、様々な用途に使用されたが、2015年に開発の為撤去の危機にさらされた。
しかし、地元市民や水原市の努力で守られ、3年の間の復元過程を経て、2018年近代文化空間をして生まれ変わった。

1923年 株式会社富國園 本社が現在地に移転
解放後、1952~1956年 水原裁判所&検察庁舎
1960~70年代 共和党京畿道党党舎
1980~90年代 内科医院
2000年代 印刷所
その後開発の為撤去の危機となるが、「登録文化財第698号」に登録され、
2018年11月29日 市民に開放
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富國園リノベーションにあたり、新築当初の緑色の窓枠、木製のドア、木製の階段を復元したんですって。

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中に入ると、綺麗すぎてちょっと変な感じ。
一部の壁や床は原形のまま保存され、展示されているのですが、あまり古さを実感することができませんでした。

大きさは旧百済病院より小ぶり。
「旧百済病院は個人所有」「旧富國園は繁栄する企業所有」だと比較すると、旧百済病院を建築した人の凄さがわかりますね。

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2階に行くと、写真

窓が多くて、とても開放された感じ。
誰も見学者が居ないのが残念です。

そして、富國園の資料が展示されていました。
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左:
陸軍御指定
山陽旅館
京畿道水原府本町1丁目
電話22番
館主 田代平吉

中央:
種子、苗木、販売
KK富國園
振替貯金口座京城253
園主 農学士 北澤小八郎ーーーこの北澤小八郎さんって、1921年に母の病気の為日本に帰ったらしいので、本社がこの建物に引っ越ししてきた時はもう韓国にいなかったってことだから、この表記は残念ながらこの建物に合ってないんだなぁ・・・(><)

右:
営業案内
大正・・・
種子・苗木・肥料
富國園
朝鮮京畿道水原停車場前
園主 農学士 北澤小八郎
・・・253
電信・・「フ」又は「フコク」

日本語が多いので、韓国語がわからなくてもなんか楽しい☆

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←社礎硬實なる富國園
朝鮮農界に貢献
富國園は・・・札幌出の北澤む?しによって創始されたもので大正
5年資本金10萬?の株式組織となるや・・・品質
本位で優良品の普及に専心努力も今では・・・長野県
?市に出張所を有し、山林?苗の・・・年額は実に
莫大のものであるが会社に長くジムに精練された
吉?支配人に忠実な?氏が大車輪で?務に健闘
するので?社の信用は?界の?・・・すべきものである

よ、読み取れない
気になる方は是非、現地で確認してみて下さい。

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展示されてるポスターで気になるのを見つけました。

←東洋種苗目録
昭和19年春の巻
総力戦に敵銃後を撃て
決戦食・・・
東洋種苗株式会社

これ、終戦の1年前のもの。
すごく戦争をイメージさせるんだけど、韓国人的には大丈夫なのかしら?

 

当時をイメージする種や苗の模型↓があり、昔の日本語を読んでる間に昔にタイムスリップしたような感じになりました☆

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その他に、水原市の昔の写真もあり、水原市の光景もイメージできる場でした。写真

↑左側が崩れた八達門 ↑八達門近くの市外行バスターミナル ↑1950年代の牛で満ちる牛市場

日本語がいたるところにあって、ある意味韓国語資料ばかりの水原博物館より全然楽しかったです。
ただ、綺麗にリノベーションしすぎて、ちょっと寂しい。
釜山の旧百済病院みたいに、汚いところをもっと残せばよかったのに・・・