50年前は水原の中心地だった郷校路エリア

水原市の郷校路エリアは、50年以上水原の移り変わりを見届けた近代的建造物が複数残っており、昔栄えたことを今に伝えているエリアです。
そして、今年はとうとう道庁が同じ市内の光教エリアへ移転し、郷校路エリア周辺はますます賑やかさが消えてしまう転換期を迎えます。
そんな郷校路エリアの中でも華城側の北東エリアを覗いてみましょう。

場所

水原市郷校路の北東側エリア
所在地 : 京畿道 水原市 八達区 郷校路
      경기도 수원시 팔달구 향교로
      キョンギ道 スウォン市 パルタル区 ヒャンギョロ
アクセス : 水原駅(수원역)からタクシーor徒歩
       八達門から徒歩

地図は郷校路の北東側エリアにある「旧富國園」です

写真

郷校路と言えば、この赤い道路。水原のメインの駅「水原駅」から始まり、八達門の横にあるイ・サン王が作った「南門市場」までをつなぐ、水原市にとって重要な位置づけをしたであろう道です。ただ、こうやって地図で見ると大きな道のような雰囲気がしますが、路線バスが通れないくらい狭く、歩道を確保するため一方通行になっています。特に、水原駅側は「水原駅ロデオ通り」となっており、ほぼ歩行者天国で、車の往来が少なめです。

それでは、水色の枠のエリアを観察してみましょう。

 

昔を伝える通り

写真まずは、日帝時代の90年前に建てられた富國園から歩いてみましょうね。

写真↑富國園から南門市場のほうを眺める道です。
向こう側に世界遺産の華城があるからなのか、高いビルが無く、空が広いです。
この辺は「南門ロデオ通り」とも言いますが、そこまでの賑わいはありません。夜も早く、古いお店も多いので、若者が集まりません。

ただ、近くにある「大韓ホルモン」という古びたお店では、豆もやし&豚三枚肉炒めを堪能しながら、時間の経過を感じらます。長年やってるブデチゲのお店もあったりするので、まだまだ探求できるお店がたくさんありそうです

写真↑さてこちらは、富國園から水原駅のほうを眺める道です。
さっきの写真と同じく人通りが少なめです。

ここからちょっと歩くと、写真60年前に建てられた「旧水原市庁舎」と

写真富国園と同じ時代に造られた赤レンガがステキな「旧水原文化館」があります。

この施設がある正面の道(郷校路とは反対側)は片道2車線しかありませんが、バスが集中したり、バス停があったり、大きな交差点があったり、と混雑するところ。混雑解消の為、水原市庁舎は早々に仁渓洞に移されたんですね。

さて、その先を進むと、どんどん古く、低層のお店が並ぶようになります。

写真

写真↑この三角屋根のお家の引き戸は、日本家屋っぽいですね。屋根も瓦ですし。
地震きたら、崩れそう

写真

こんな寂しい感じですが、お店は開店営業中なんですよ!
ここは、水原市三大マッククスの「春川メミルマッククス」。力強く商売するのは韓国人の強さじゃないでしょうか

写真

マッククスを通り過ぎると、写真道の名前になった水原郷校があります。
1795年華城市から移転されてから、修繕などを繰り返し、たまに教育イベントを行っている教育施設。300年の歴史を持つらしいです。

さて、ここから右側に曲がって、八達山に向かいましょう。

息切れがしそうな坂を登ると、写真水原市民会館にたどりつきました。ここには、日帝時代に日本人が作った「水原神社」があったそうです。

さぁ、もう少し西にある京畿道庁に向かいます。写真50年の歴史を持つ「京畿道庁の旧館」です。今は、市民開放していませんが、同じ敷地にある現在の道庁が光教にお引越ししたら開放するかな?

ちなみに、青枠の中には入りませんが、道庁の北側には、同じく50年前に建てられた「京畿道知事旧官舎」があります。写真こちらは、イベントがある時、中に入れます。(昔は宿泊もできたみたいですが、今は宿泊プランが出てきません)

 

この郷校路エリアは、1967年ソウルにあった京畿道庁が移転してきてから2000年代初期まで、水原市の行政と文化、商業中心地でした。 官公庁と関連機関が集中し、1960年代にはこの一帯は銀行がしのぎあっていました。
また、上記のように、昔の水原市役所(1956年建立)、水原郷校(1789年)、昔の水原文化院(1920年)、昔の富国園(日帝時代の農作物種子農機具販社·1950年代は裁判所及び検察庁)、水原神社(1917年)、水原金融組合(1907年、←あれ?まだ実在してるの?)など歴史性を持った建物や遺跡が密集しています。

しかし、水原市内の複数のニュータウン開発、文化財保護区域規制、水原飛行場高度制限などが重なり衰退していきました。今では、多くの古い建物、狭い路地のせいで、足立区北千住のように 消防車が通行できない危険なエリアになってしまっています。

 

 

これから

実はこの地図の水色の枠は、「京畿道庁周辺水原構図新都市再生事業」になったエリア。京畿道庁が2020年12月に移転予定の為、スラム化するのを食い止めようと行政が動くようです。

「京畿道」は、日本で言うと「都道府県の中の一つの道」なのですが、ソウルという首都圏の周囲をぐるっと取り囲む「道」なので、神奈川県というより「関東」というイメージです。
そんな京畿道の行政施設が今年12月、水原市光教エリアにお引越しするのですから、「一日4000人が出入りする京畿道庁が移転すれば地域の商圏が崩壊する」と心配されています。

この心配を払拭するためにも、水原市と京畿道そして政府が予算620億ウォンを投入するそう。

衰退を続ける郷校路エリアがこれからどのように変化していくか、楽しみです。

 

 

最後に

イ・サン王が首都移転を目的として農地開発をした水原市。その後、日帝時代には「부국원(富國園)」やソウル大学農科大学の前身「수원농림전문학교(水原農林専門学校)」など、農業開発のための施設が水原市内に建ちました。終戦後(韓国では解放後)、朴槿恵パパが農業視察で水原を訪れた際に食べた水原カルビがTVで全国放送され、現在の水原カルビの繁栄にもつながっています。
もし、イサン王が水原を選んで無かったら・・・
もし、日帝時代、日本人が水原に見向きもしなかったら・・・
もしかしたら、朴槿恵パパが来ることも無く、SAMUSUN電子本社も水原に無く、未だに水原はド田舎で世界遺産認定してもらえてなかったのかも・・・
歴史嫌いなmonmonですが、現代人の生活に繋がる歴史を感じ、ロマンを感じる通りでした