羅蕙錫(ナヘソク) 生家跡&記念碑
スウォン市の歌舞伎町「インゲドン」というエリアには、「ナヘソク通り」という通りがあります。
ナヘソク通りは、ナ・ヘソクという女性画家を記念して作られた通りで、たくさんの飲食店が立ち並んでいます。
華城行宮の神木にお願い事をしに行った帰り、偶然、その女性画家の生家跡を見つけました
나혜석 생가터&기념비(ナヘソク センガト&キニョムピ/羅蕙錫 生家跡&記念碑)
所在地 ; 京畿道 水原市 八達区 新豊洞
. 경기도 수원시 팔달구 신풍동
. キョンギド スウォン市 パルタル区 シンプンドン
アクセス : 水原駅(수원역)からタクシー
周辺観光施設 : 華城行宮・華西門・長安門
華城行宮を出て、華城行宮の柵の周りを沿って歩くと、記念碑があります。
写真の向こうは、雲漢閣エリアの一部「風化堂」の屋根。
画家、作家、女性運動家であるナ・ヘソク。
ここでは、画家になってるようです。
1896年 4月 28日生~1948年 12月 10日 (52歳)没。
現在の水原市(인천부 수원군 수원면 신풍리 291번지)で誕生。
幼い頃は、水原華城、訪花隨柳亭、健陵(世祖の墓)、西湖などの風景画を描いた。
日本東京女美術学校油絵科で洋画を勉強した後 1918年帰国し、画家,・作家として活動する。
1919年 3·1 万歳運動に参加し、 5ヶ月間投獄。
初恋を手放せず、親が薦める見合いを断り、自由恋愛の上で、1920年김우영と結婚。
満州・フランスなどを旅し、ヨーロッパ・アメリカ視察する旦那に付いて行った為、「朝鮮人の女性でヨーロッパ旅行を初めてした人」と言われる。
多くの浮気を繰り返し、結局 外交官최린との浮気で離婚。
その後최린からも捨てられる。
1935年 貞操趣味論(정조취미론)を発表。
血縁関係の人には純血を要求しながら、自由恋愛論を主張。
男性が女性を縛ることを嫌った。
記念碑から少し歩くと、生誕の地がありました。
残ってるのは石碑だけ。
石碑の横を見ると
ナヘソクが書いた絵の模写と、生誕の地である表示がありました。
その表示がある建物は、「韓国ヤクルト」。
ここから、ヤクルトおばさんが出て行きました。
昔はナ・ヘソクが家を出入りしていただろうに、「時代は変わる」のを実感した瞬間でした。
でも、この女性ね、
結婚する際、婚約者に出した条件が、
●一生愛し続けること
●画家活動を邪魔しないこと
●しゅうと・前妻との娘との別居
●死んだ元カレの墓石をたてること
しゅうとはまだしも、前妻との娘との別居を求めるなんて
血は繋がってなくても、旦那の娘なのに
あと、「死んだ元カレの墓石をたてる」って何
これだけじゃ物足りず、
「新婚旅行は元カレの故郷へ行き、旦那と一緒に墓参り」だって
新郎側の知人はみんな反対したらしいけど、当たり前じゃん
この女、アホじゃない
理解できん
ナ・ヘソク通りが嫌いになった日でした
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