百済、高句麗、新羅・・・昔も多数の渡来人が日本に移住。고려왕약광さんだって日韓が仲良くするのを望んでるはず。

※日本にある場所の話です。

前回、神奈川県日向の「白髯神社」、神奈川県大磯の「高麗神社」を紹介いたしました。

今回はそのまとめ、みたいな最終回です。

 

古代の渡来人の簡単な年表

660年 百済(백제)滅亡し、百済からの亡命者が渡来。

663年 白村江の戦い。百済の復興に失敗し、百済最後の王「義慈王(의자왕/ウィジャワン)」の息子「百済善光王(백제선광왕、帰化前の名 부여선광(扶餘禪廣, 扶餘善光)」が大阪難波で過ごすことになる。

668年 高句麗(고구려)滅亡し、高句麗最後の王「 寶臧王(보장왕/ポジャンワン)」の息子「高麗王若光(고려왕약광)、帰化前の名 고약광 (高若光)」が神奈川県大磯に渡来。

703年 高麗王若光が京都で王の姓を賜う。

いつの間にか 高麗王若光が、神奈川県大磯から花水川をのぼり、上流の神奈川県日向へ移住。
写真花水川の上流だった日向川

716年 渡来人系出身の行基が神奈川県日向に日向薬師を開創。創建にあたり、高麗王若光が行基に霊木を一部調達してあげる。

716年 高麗郡(現:埼玉県日高市)を建郡。高麗王若光を中心とした高句麗人1799人が移住。

717年 行基が神奈川県大磯に高麗寺を開創。
写真高麗寺(現在:高来神社)

745~750年代 新羅(신라)にて飢饉・疫病が大流行し、新羅からの亡命者が渡来。

758年 新羅郡(現:埼玉県新座市)を建郡。新羅僧を中心とした約70人が移住。

いつの間にか 埼玉県日高市に高麗神社を創建。高麗王若光を祀る。

いつの間にか 神奈川県日向に白髯神社を開創。高麗王若光を祀る。写真白髯神社

こう見ると、百済だったり高句麗だったり、はたまた新羅だったり、多数の渡来人が日本に移住してきてたんですね。
大磯の隣にある秦野市は、渡来人の秦さんが開拓したっていう話もあるし。
自分の祖先が渡来人である可能性がゼロじゃないと思うと、出身地だけで「韓国人だ日本人だ」って言ってるのってバカバカしく感じます。

大磯の高麗神社には、山の祭りである「高麗寺祭(山神輿)」、海の祭りである「御船祭」があります。
高来神社は、この祭りも高麗とは関係ないと解釈したいそうですが、海のお祭りは、まぁ、高麗王若光さん繋がりでしょう。

また、西湘にはたくさんの古墳が残っています。monmon家の近くにも名の知れない古墳があって、ずーっと何もない公園のまま。
古墳のせいで開発できないらしいのですが、こんな古墳が、高麗王若光さんが生きてた古代につながっているかもと思うと、不思議な感じがします。

そして、大阪って行ったことないので全然知らないのですが、大阪難波エリアにコリアンタウンがあるのは、そもそも百済王の息子が移り住んだ縁があった所だったんですね。

※高麗王若光さんが玄武若光だという説は、ちょっと曖昧すぎるので、ここでは同一人物と紹介しませんので、あしからず。

 

相模国の主な渡来人関連神社

・箱根町:駒形神社(須雲川)、駒形神社(箱根)、駒形神社(畑宿)
・小田原市:白髭神社(小船)
・大磯町:高来神社(高麗)
・秦野市:加羅古神社(横野)
・伊勢原市:白髭神社(日向)
・平塚市:駒形神社(岡崎)
・鎌倉市:駒形神社(寺分)
・横須賀市:白髭神社(野比三浦市:白髭神社(三崎町)

by大磯町史 P85より

平塚にも白髭神社(現在:岡崎神社)があったんですが、これは渡来人と関係ないようです。

写真↑高麗王若光さんが移住してきた神奈川県伊勢原市日向の里山風景

 

歴史が苦手なmonmon、歴史的な話にちょっと疲れてきました (‘◇’)ゞ
でも古代の朝鮮人とつながりがある土地や建物があるって、なんか嬉しいですね。
切っても切れない日本と韓国の縁。どうぞ良いご縁でありますように。