高句麗の王族고려왕약광さんを想う1 ~白髯神社~

2022年3月7日

来週は韓国の大統領選挙ですね。
大統領選挙といえば、韓国は祝日になる日。
日本には無い祝日なので、なんか不思議です。

 


※日本にある場所の話です。

突然ですが、彼岸花と言えば、どこを思い浮かべます?
多くの方が、埼玉県の巾着田をあげられるかと思います。
でも巾着田はmonmon家から遠いので、彼岸花関東三大名所のひとつである「日向薬師エリア」に行ったときのこと。写真

日向エリアを歩いていたら、なにげない立て看板に「高麗」「神社」の文字を発見。

Left Caption

もんもん

巾着田には高麗神社があるし、彼岸花が群生しているここも高麗と縁があるの?

と思い、ようやく調べてみました。

高句麗の王族を祀る白髭神社

白髯神社
所在地 : 神奈川県伊勢原市日向1670
アクセス : 小田急小田原線伊勢原駅からバス バス停「日向薬師」下車 バス停より徒歩1分
オフィシャルHP : 神奈川県神社庁
営業時間  : 売店無し
TEL    : 0463-95-2023
駐車場   : 日向薬師の駐車場の利用可能

 

秋は彼岸花、春は日向薬師の梅と桜の観光客で賑わう伊勢原市日向エリア。
平地より気温が2度低いといわれる昔ながらの里山なのですが、歴史的な話が多く、一応観光地です。

その彼岸花のエリアを出てすぐ近くに、朝鮮と関わりのある「白髯神社」がありました。

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鳥居には「白髯神社」の文字。
石段を上ると、小さな神社がお目見えしました。

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境内にある看板より写真
日向(ひなた)神社は、8世紀に日向薬師を開いた行基に協力を惜しまなかった渡来人、高麗王若光(こまおうじゃっこう)を讃えて創建され、長い間、白髯神社として知られ、新編相模国風土記稿、皇国地誌などに記載されている古い神社です。
呼び方が日向神社に変わりましたのは、昭和8年(1933)で、国が全国の神社資格を調べて整理、無資格を村社として格上げして村から祭祀料を出す制度にしたことによります。

写真伊勢原市の観光チラシより。

日向神社(白髭神社)に祀られているのは?
日向薬師の真下にある日向神社は、古くは白髯神社と呼ばれていました。天智7年(668年)、戦いに敗れ日本に亡命した高句麗の王族・若光を祀っています。
社名は美しい白髯の持ち主であった若光にちなんだもの。
日向薬師の創建に際し、行基が薬師像を掘ろうとすると、熊野権現と白髯明神が現れ霊木を与えたといわれます。

この白髯神社は、新羅に滅ぼされた高句麗から逃れてきた高麗王若光さんを祀っています。
高句麗という国が無くなり、当時、高句麗人(高句麗に限らず朝鮮から日本へ来た人を「渡来人」というらしい)が日本にわたってきました。
高麗王若光さんもその一人で、神奈川県大磯の海岸にたどりつき、神奈川県大磯→神奈川県日向→巾着田の埼玉県高麗へ移り済んだそう。

この「高麗王若光(고려왕 약광)」さんは高麗の王様じゃなくて、高句麗第28代国王「 寶臧王(보장왕/ポジャンワン)」(在位:642年~668年)の息子だといわれており、寶臧王の時に高句麗が滅びたので、高句麗の王様にはなっていない。
日本で帰化し、性を高麗王(こまのこにきし)、名を若光(じゃっこう)と名乗ったらしい。

それにしても、歴史が苦手なmonmonにとって、「高麗(고려)」も「高句麗(고구려)」も違いが判らない(‘◇’)ゞ
でも、「高麗」とか「高句麗」って、韓国に興味ある人にとっては知っておいたほうが良い国みたいですね。

  • 「高句麗(고구려/コクリョ)」の復興を願い「高麗(고려/コリョ)」と言う国を作り、首都を「開城(개성/ケソン)」とした。
  • 開城は、その後長く主要都市として機能し、韓国ドラマでも良く耳にする。そして現在は、北朝鮮に開城市が存在する。
  • 高麗は、936年に今の韓国と北朝鮮のエリアを統一した国。
  • 韓国の「Korea(コリア)」は「高麗(コリョ)」から来ている。

すぐ近くにある日向薬師を開いた行基っていう人も渡来人系出身らしく、渡来人同士仲良くやってたのかしら。

写真本殿の表記も「白髯神社」です。「日向神社」じゃありません。
日向神社は、あくまでも嫌な大人の都合で、「熊野神社」と「白髯神社」を統合し「日向神社」と変えただけ。
高麗王若光の美しい白髯の名がまだ残っているのは、ありがたいです。

写真↑立派な木製の狛犬が柱に飾ってあります。

白髯神社のお祭り<道祖神祭り>
1月14日の道祖神祭りで、日向の坊中の「玉ふり」といえば有名だった。
杉の葉と藤づるで大きな球を作り、白髯神社の大松の一の枝に縛りつけた。
お祭りが始まると、その玉の下で、お正月の門松やお飾りを燃やし、火の勢いにあぶられて、玉に火がつくと、玉のつるをつかんで玉を振り回した。
火の粉をまき散らしながら、火の輪を作る有様は見事で、近所に住む若い人も「玉ふり」に参加した。
火の粉をかぶると、その年は無病息災で暮らせるといわれ、外部から祭りを見に来る人もいた。
第2次世界大戦から「玉ふり」は行われなくなり、玉をささげた大松も切られてしまった。
伊勢原の昔噺P7.8より

世界大戦以前は、地元の人にとって、本当に大切な神社だったんでしょう。

 

大磯から花見川をのぼって日向へ

神社の看板にはこんなことも書いてありました。↓

写真拝殿から鳥居を眺めた山肌には杉、檜の神社林が広がっています。
その足下には日陰道(蔭道)が通り、山裾には日向川(玉川)が東へと向かっています。
現在の日向川は新たに開削された(新)玉川と経て相模川へ注いでいますが、昭和二十一年まで、玉川は東に向かい、厚木市小野から愛甲あたりで徐々に南へと向きを変え大磯高麗山の麓を流れる花見川となり海へと繋がっていました。

神奈川県大磯に居た高麗王若光さんは、目の前にあった花見川をのぼり、玉川をつたって、神奈川県日向に来たようです。
↓白髯神社近くの日向川(玉川)
写真ここの水が大磯の高麗神社付近につながってたと思うと、なんか不思議。

こんな里山で高麗王若光さんは祖国(朝鮮半島)をどう想っていたのでしょう。

 

自分が住んでる神奈川県に、こんな昔から朝鮮と繋がっていた場所があるなんて驚きです。
やはり日本と韓国は切っても切れない関係なのでしょう。(だからこそ仲良くするべき相手なのに(><))

次は、高麗王若光さんが上陸した神奈川県大磯の高麗神社のお話をしましょうね。

駐車場が無料

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日向の彼岸花、白髯神社を観光したい方は、日向薬師の駐車場が便利です。
こちら、大規模の駐車場ではありませんが、5ケ所あり、完全無料(2022.3現在)なのが嬉しい☆
↓地図の「P」が日向薬師の駐車場。ピンクで囲んだ「日向神社」が「白髯神社」。写真

彼岸花はちょっとしょぼい(TT)
巾着田のほうがきれいだったなぁ。