高句麗の王族고려왕약광さんを想う2 ~高麗神社~

2022年4月17日

※日本にある場所の話です。

前回、高句麗の王族「高麗王若光(고려왕약광)」さんを祀った神奈川県日向にある白髭神社のお話をしました。

今回は、その高麗王若光さんが朝鮮から亡命して日本で最初に住んだ場所にある神社ネタです。

高麗神社/高麗寺(現在:高来神社)
所在地 : 神奈川県中郡大磯町高麗2丁目9−47
アクセス : JR東海道線 大磯駅 徒歩25分
オフィシャルHP : 神奈川県神社庁
TEL    : 0463611146
駐車場   : 有(数台、無料)

 

昔は高麗寺、現在は高来神社(たかくじんじゃ)に変わり、周辺の住民からは「こまさん」と呼ばれてる高麗神社。
monmon父も

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もんもん父

高麗山の高麗神社、名が知れてるよね。
高来神社? 知らない。

っていう反応。

車でGoogleのナビで行ったら、神社の西側に誘導されちゃって
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もんもん

車じゃこれ以上行けないじゃん(><)

ってことに
もし車で行く方がいらっしゃたら、高来神社の東南側にある「高来神社入口」という交差点を目指したほうが便利です。

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「高来神社入口」交差点を曲がると、すぐ鳥居がありました。
とても大きな立派な鳥居です。
白髯神社と大違い(><)

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神社の奥には小さな山「高麗山」があります。
湘南平もあり、西湘の住民にとって、遠足で行ったり、ハイキングで行ったり、デートで行ったりするお山。
小さな山をしょってる感じは、スウォンの華城行宮(화성행궁)と八達山(팔달산)の景色に良く似てます。

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この撮影日は、急に雨が降ってきたためか、訪れる人があまりいらっしゃいませんでした。

写真若光渡来 天智7年(668年)高句麗国が滅亡するや高句麗の王族若光は大磯の高麗に渡来して大陸文化を伝えた。
霊亀2年(716年)大磯を始め各地に渡来した高句麗人が若光を郡長として武蔵野国高麗郡に移され、開発を命ぜられた。

高麗寺(こうらいじ)の創建 養老元年(717)僧行基がこの地を尋ね大磯の照ケ崎の海中よりお上がりになった千手観音菩薩を拝し本地佛と定められ高麗寺を創建した。かくして神仏習合の聖地となり鶏足山高麗寺を別当寺とし長く信仰されて来た。
鎌倉時代は幕府の厚い信仰を受け相模の大寺社に列せられ境内に二十四僧坊が置かれたが
室町時代には高麗山は要害の地として重なる戦いの被害を受け白山社・毘沙門三重塔など多くの伽藍、寺宝が焼失さえた。

明治の世となり神仏分離の政策により高麗寺は廃寺となり、(高麗神社を称するようになり)明治30年に高来神社と改称された。
高来神社は古来より高麗、大磯の鎮守神として地域住民の平和と安全を御守護されている。

本堂のある所に行くと、2つ立派なのがある!

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向かって左側は、「高来神社」との文字があり、照明が付いてて、七五三らしい可愛い家族を向かい入れていました。(コロナのせいでこんな時期になっちゃったんですね)

そして、右側は閉まってて、暗い感じ、お神輿を保存しておく場所みたいです。
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ただ、神社近くにある「虚空蔵尊」の絵を見ると、ピンクのところが高来神社の敷地。
右側が「高麗寺」と記載されています。

 

実はこの高来神社を経営してる方々がクセモノ。
あるブロガーさんが宮司に「高麗神社の・・・」ってお伺いしたら「うちは関係ない!」って冷たくあしらわれたらしい。

長きにわたり住民に愛されてきた高麗寺(高麗神社)への愛があれば、大磯の地名にもなっている高麗という名をあえて「高来」なんていう言葉に変える必要があるでしょうか。
ある説では、「”高来”は”こうらい”とも読め朝鮮の色が濃い」と唱えてる人もいらっしゃいますが、高麗という字を捨て、あえて高来という字を選ぶ???
いやいや、選んだとしても「うちは関係ない」って回答は理解できません(><)
たとえそれが、明治政府の徳川幕府の色を抹殺するため、幕府とのつながりのあった高麗寺を廃寺にしたという経緯があっても。
現在でも、高麗寺祭りがあり、高麗山もあり、高麗の神である高麗若光(高麗明神/高麗権現)を古来から住民が慕ってる話もあるのに、高麗の字を伏せようと必死な気がします。
「神社だけでも高麗という字を無くしてしまおう。縁を隠してしまおう。」という大人の汚い気持ちが見え隠れするのは私だけでしょうか。

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神社の奥には、高麗山の山頂へ続く、男坂、女坂がありました。
ここは、高麗山で行う高麗寺祭りで重要なイベント「山神輿」で歩く場所。

写真高麗の山神輿
現在廃絶した高麗寺の本尊である千手観音の祭りが、現在は高麗寺祭、高來寺市(こうらいじまち)として、毎年4月17・18・19日に実施されている。
江戸時代から対象の始め頃迄は「農具市」、現在は「植木市」に変わり、お祭りのイベント「山神輿」は寛永21年(1644年)より始まり、下宮である高來神社の神霊を神輿に移し、麓から山頂の上宮「大堂」まで神輿を担ぎ上げるものである。

写真17日午後6時頃、「上宮渡御」開始、男坂を登る。(神輿は高麗山で一番急な男坂を夜間に上ります
同日午後8時頃、女坂との合流点(八景、中の坊跡)に到着。
同日午後8時半過ぎ、上宮(大堂)に到着。御輿を平手でたたきながら境内を練り歩く。神主の祝詞があげられる。
そのまま山に御輿が安置され、社人2人が夜通し御守りする。
19日正午、1時頃に「御帰還、山降り」開始、女坂を降りる。
同日午後2時頃、下宮に到着。

男坂は結構キツイらしく、2021年はハイキングで訪れた方が滑落事故で死亡したくらいの山。
こんな坂を重いお神輿を担いで登るんですから、力が有り余ってる男性じゃないと無理でしょう。

 

参拝者の駐車場の隣には、「最強運の守りの神」と「チャンスを呼ぶ神」にお参りできる場所がありました。写真

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↑まずは「最強運の守りの神」の豊受姫大神にお参りします。
その次は、階段をのぼり、御供水へ。

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ここは、「チャンスを呼ぶ神」の水神様、龍神様に御供水をかけてツキを呼び込みましょう。

上部が龍神様、下が水神様、キレイな水が流れていました。

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私にとって、今年の初もうでとなった高麗神社。
最後に、高麗神社(高来神社)のお守りを購入してきました。写真おまもり 600円×3個

高句麗から逃れた高麗王若光さんが668年大磯にたどり着き、
その後、高麗王若光さんは日向に行き、
716年渡来人系出身の行基が、日向薬師創建で材料不足で困ってた時、熊野権現と白髭明神(高麗王若光さん)より霊木を与えてもらい、
その翌年の717年に、行基は、この大磯に訪れ、高麗寺を創建

「行基がわざわざこの大磯に来た理由が、高麗王若光さんを祀る為だった」と想像を巡らせながら、西湘で活躍した高麗王若光さんを敬うロマンの中で、高麗のまちを離れたのでした。