盆唐ソウル大病院3(本館12階の病室)

の続きです。

monmonが移動したのは、本館の12階の5人部屋。

写真

 

まず、エレベーターを降りると、大体どこの病院でもそれぞれの階に談話室みたいなコーナーがあります。
患者が気晴らしに過ごしても良いし、お見舞いの来客と談話しても良いし、誰でも利用できるところ。この病院は比較的新しいからか、ソウル聖母病院より広々しています。写真

写真窓の向こうには、城南市盆唐区(성남시 분당구)や龍仁市水枝区(용인시 수지구)の街並みが望めます。こんなに景色が良いのに、このお部屋の利用率が低くて、ゆったりおしゃべりできていいですね。

 

さぁ、病室へ向かいましょう。
エレベーターホールから病室に入るドアの横にはセキュリティカードをかざす機械が設置されていました。写真

写真左:患者・保護者 出入り用
右:職員 出入り用
セキュリティカードをかざすと、病室へ続く廊下のドアが開きます。

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さぁ、皆様も入院した気分で中に入りましょ~。

 

写真共有部分の給湯室には、電子レンジや大きな給湯器が完備。もちろん、誰でも使用してOK。それにキレイに管理されていました。

 

さて、5人部屋の12215病室に到着しました。
個室も空いてたのですが、貧乏なmonmonは共同部屋で☆写真

写真monmonが1週間過ごしたベッド。
幸運にも窓際の角っこ^^
聖ビンセント病院の5人部屋よりも広く、居心地が良い♪
monmon旦那も喜んでる

ここまで運んでくださった移動専用スタッフさんは風のように立ち去っちゃいまいた。
写真そして、ここでも加湿器はありませんでした。もう、韓国ドラマで良く目にしてた「病院&加湿器」っていう光景は無いんですね~。

写真外は北側の山しか見えませんが、この山には「全州の李彭壽さん」のお墓があるそうです。

<全州李氏泰安君派墓域(전주이씨태안군파묘역)>
京畿道の記念物第118号。
1592年壬辰倭乱の際、王を護衛し、功績を認められた文臣「李彭壽(이팽수, 1520~未詳)」と息子の「李橿(이강, 1551~1585),ひ孫の李敬仁(이경인, 1575~1642)と他1名の計4個の墓がある。

あら、壬辰倭乱(文禄の役)って「豊臣秀吉が企てた朝鮮に対する侵略戦争」なんですって。豊臣さんのせいでまた在韓日本人が嫌な気分になるじゃん(><)

monmon旦那に

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もんもん

이팽수さんって知ってる? 全州の人みたい
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monmon旦那

そりゃ全州だろう
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もんもん

なんで全州だってわかるの???
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monmon旦那

이さんが全州っていうのは、韓国人なら常識。そもそも韓国は苗字で出身エリアがわかる。日本で言うと、遠くに住んでてもわざわざそこに本籍を置く考えがあったりする。但し、金さんは人数が多すぎて出身地がいろいろあるみたい。

あ、そっかー。だから昔韓国ドラマを見た時、合コンしてるシーンで同じ苗字の男女が必ず出身地を確認してる会話があったのかぁ。
日本ではありえないですね。

 

「盆唐ソウル大病院4」へ続きます。